同い年の友人が入院して、急に自分の残り時間が怖くなった
「〇〇ちゃん、入院したって」
その一言で、なんか変な感じがした。
まさか、という気持ちと、他人事じゃない、という感覚が同時に来て。
50歳を過ぎたころから、同い年の友人の話が少し怖く感じるようになった。
自分はまだ大丈夫、って思いたくて、でもその「まだ」がいつまで続くかなんて、誰にもわからないんよね。
その怖さって、病気への怖さじゃないんだよ。
ふと気づいた。
「もし私が今、何かあったとしたら・・・後悔しないって言えるかな」って。
そっちのほうが、ずっと怖かった。
「いつかやろう」と思ってきたこと、頭の中にいくつかある。
でも今日も、それをしないまま1日が終わった。
明日も、たぶんそうやって過ぎていく。
「いつかは永遠に来ない」って、頭ではわかってる。
そういう言葉、何度か目にしてきたし、なんとなく同意もしてた。
ちがった。
頭でわかっていても、体が動かなかったのは、何に向かって動けばいいかが、自分でもわかっていなかったから。
「いつかやりたいこと」がぼんやりしたまま、形になっていなかった。
その怖さの正体は、価値観が満たされていないサインなんよ。
時間が怖いんじゃない。
「この時間を何に使えばいいかわからない」まま過ごしてきたことへの、じわじわした焦り。
友人の入院は、ショックだった。
知らせを聞いたその夜、なんかぼーっとしてしまって。
でも今思うと、あの知らせが「あなたは本当に何を大切にして生きたいの?」という問いを、私に連れてきてくれたんよね。
怖さを感じたなら、その感覚を無視しないでほしい。
「私が残りの時間を何に使いたいのか」——その問いに向き合うのは、今でなくていつ?
いつかは、来ない。
本当にそう思う。
〜魂の声を聴き、使命を生きる〜自己統合コーチング、受付中です。
「自分が本当に大切にしていることって、なんだろう?」
その問いに、一緒に向き合います。
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